2011年10月29日

しんぶん赤旗日刊紙 おすすめです

 しんぶん赤旗には日刊紙があります。
 16ページの新聞です。その日のニュースをもれなく載せています。スポーツ面や暮らし家庭、テレビラジオの番組のページもちゃんとあります。朝早い時間にお届けして月3400円です。
 いま毎日くる広告で分厚い新聞が書いていることやテレビ・ニュースや解説で言っていることと、自分の考えていると、思っていることとどうしてこんなに違ってるのかと不思議になりませんか。震災復興にお金がいるから消費税を上げなくっちゃあと言う。政府や財界の言い分ばかり大きく載せたがる。首相にしてからが就任した当時と比べたら言うことが変わってきている。菅首相にはあれほど悪口を言った大手メディアがいまの首相の「どじょう」好きまで持ち上げる。原発再稼働でも首相はどんどん態度を変えてきている。しかしメディアはそこのところはほとんど追及しない。焦点のTPP,いま乗り遅れたらえらいことになるという論調になる。言い出せばきりがないほどおかしなことがあります。
 しんぶん赤旗はどうか。「野田内閣 米国の『使い走り』」、TPPを慎重に考える会の集会(10月21日)で与党議員たちが「なんでもアメリカの通りにすればこの国がよくなると早合点してはいけない」などとのべたと大きく報じています。
 「農業のほか、医療、金融、公共事業、幅広い分野をカバーしている交渉だ。太平洋の国に制度をアメリカのように変えろといっている」「医療は明らかに米国の制度より、日本の制度が進んでいる。安全基準も日本がきびしい。
TPPの議論を聞いていると、安全基準はむしろ下げさせられ、『アメリカからの輸入に対して、もうちょっと寛容にしてくれ』という話が出てくる。日本的制度のいい部分を守っていくのはきちっと実行していかないといけない」(要旨)。自由化論者を自任する榊原英資・元財務官の講演内容です。しんぶん赤旗はきちんと報道しています。
 TPPについては政府は与党内も含めて99%の意見は聞かないで財界、アメリカの言うなりに強行する恐れが強い。メディアも国論を二分している、与党内にも異論や慎重論が目立つTPP交渉入り問題について、紙面やテレビニュースで目につくのは財界とアメリカの言い分とそれを受けた政府の前向き姿勢だとする報道です。
 突っ走る政府、メディアの顔を少しでも国民の方へ向けさせる道はあるのか。
 希望はしんぶん赤旗日刊紙の力です。赤旗に読者数の持つ力がほしい。
 「『赤旗』がもっと市民のさまざまな運動を取り上げ、報道し、応援するものになり、勇気を出して立ち上がる人々にとって共産党と『赤旗』が頼りにされていけば、社会を根本的に変える方向が見えてくるのではないかと思います。運動する人々が私たちの新聞と思える『赤旗』としてますます成長してい
くことを願います」(10月24日、日刊赤旗「読者の広場」、梨田 敦志さん)。
 「自分の人生と生活にとってなくてはならない新聞、自分たちの運動にとってはどうしても欠かせない『マイ・ペーパー』として、受け止めていただけるような新聞をめざして、全力をあげる決意です」(しんぶん赤旗編集局長・小木曽陽司さんが雑誌「前衛」十一月号で)。
 しんぶん赤旗日刊紙をお勧めするもう一つの理由がここにあります。読者と記者、編集者の間にあたたかい、親身なつながりがある日本でただ一つの日刊新聞が生まれる。どうぞ力を貸してください。

投稿者 : 10:23 | コメント (0)

2011年10月19日

しんぶん赤旗 日刊紙をどうぞ

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今の新聞やテレビ・大手メディアの言ってることは おかしいぞと思いませんか。そんなときしんぶん赤旗日刊紙を手に取ってみてください。

投稿者 : 22:19 | コメント (0)

2007年01月21日

太鼓台・民主香川1月21日号から

映画をみました。「にがい涙の大地から」(監督・撮影・編集 海南友子=かなともこ)という作品です。2005年の日本ジャーナリスト会議、黒田清新人賞を受賞したドキュメンタリーです▼戦争が終わって60年、中国の大地にはいまも日本軍が遺棄した兵器、毒ガスや砲弾が眠り続け、その被害を受ける人が後を絶ちません。映画は日本政府を相手に裁判を進めるその被害者たちの姿、生活破壊の実態をこくめいにおいます▼サンポートの小ホールに20人ばかりの観客はしんとして画面に見入りました。若いジャーナリストのまじめな仕事が心に伝わってきました▼06年の新春には、高松ではさんさん荘問題を追った瀬戸内海放送の若い記者の粘り強い取材報道が心ある人の喝采を浴びていました。また高松市の生活保護行政を告発したテレビ報道も行政に衝撃を与えていました▼この正月、耳に聞こえるのは存続の危機にある小規模作業所を何とか続けようとする父母たちが上げる悲鳴、介護認定を申請したら窓口で「電話かけられる人は介護認定は受けられない」と蹴られたとか。こういう事態や声は新聞紙面にもテレビ画面になかなか姿を現さない▼「福祉は投げ捨てと、いま自治体がおちいっている行革病から暮らし守る本来の姿を」春の選挙に勝って取り戻そう。そして平和の情報発信力も大きくしなくてはと考えました。

投稿者 はねだ鉱造 : 20:43 | コメント (0)

2006年10月31日

映画「UDON」で考えた 讃岐うどんは讃岐の小麦で       「女性のひろば」11月号から

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わが町綾歌にはうどんやが8軒ある。セルフ系が3軒、地元系4軒、レオマワールド内に1軒、製麺工場3カ所。碧空会というボランティアうどんサークルもある。セルフ系はブームに乗って駐車場を次々広げ、ツアーのバスや大型トラックも昼時は行列になる。地元系の店には当然だがそれぞれ個性がある。コシ、つるりとした喉ごし,えもいわれぬ柔らかさである。うどんボランティアはイベントの奉仕者、無料のうどんしか打たない。さぬきうどんは中讃地域・さぬきの真ん中あたりがうまいという。中讃丸亀の一番ディープな町が綾歌、うまいわけだ。
 「讃岐はかって小麦の反当たり収量が全国一を誇っていた時代がありました」とわが師匠はいう。なぜというと「讃岐の五反百姓」というように平均耕作面積が少ない。小作率が高い。作ったコメは地主が年貢で持って行く地主制度の時代である。そこで農民は小作争議の一方裏作で農民の手取りになるうどんの原料小麦つくりに精を出した。農家非農家を問わずどの家にも麺棒があった。泥鰌汁や打ち込みうどん。ふうふう吹きながら食べた味は忘れられない。
 戦後レッドパージで国鉄を馘首された池上淳さん(99年没)が生活のために池上製麺所を開店したのが1957年(昭和32年)のこと。それから50年瑠美ばあちゃんのうどん「池上」のルーツだ。
 庶民の知恵と汗と涙が小麦粉をつないで踏みしめて練り上げたのが今の讃岐うどん。
 映画UDONの終幕近く、帰農した広告マンが麦秋を前に「これで讃岐うどんをつくるのはいつになるのか」とつぶやく場面がある。香川県は地産地消「さぬきの夢2000」という小麦に力を入れてはいる。ところが品目横断的経営安定対策とかで小規模の麦生産者への県の助成金が激減「もう麦やかつくれん。やめたやめた」。こんな声が私の周りで続出して、今のさぬきうどん原料は輸入小麦がほとんどである。
 この困難に立ち向かううどん美人、コシがしっかり定まってやさしい白川容子香川県議の話を聞いた。(この項はねだ)


県庁にうどん課をつくろう
  白川容子香川県議の話


香川に嫁いだ私は、「さぬきうどん」に腰を抜かした。お隣の徳島から来てもこれだけビックリするのだから、四国以外の人から見れば、もっともっと驚きでいっぱいだろう。
 まず驚いたのは「でけたち(できたばかり)」のうどんに醤油をかけるだけの「しょうゆうどん」。いわば「うどんのさしみ」である。次に驚いたのは香川の人は朝からでもうどんを食べること。有名なうどん屋さんは出勤時間でも混雑している。生粋の讃岐男である夫に言わせれば「朝のうどんが一番コシがある」そうで、おいしいらしい。法事の時もまずはお茶代わりにうどんが出る。お代わりを勧められたら断ってはいけない。
 私もすっかり讃岐の人になり、ほぼ毎日うどんを食べる。何よりもうれしいのはリーズナブルだということ。いまだ一玉70円で食べさせてくれる店もあるし、うまい・安い・早いで、いつも時間に追われている貧乏な私には本当にありがたい。
 しかし、小泉構造改革が讃岐うどんまでも奪い去ろうとしている。「さぬきうどんは、さぬきの小麦で」と、党の先輩議員たちが苦労を重ね提案し実らせた小麦作振興事業。オーストラリア産など外国産を使った、さぬきうどんとは名ばかりの実情を「小麦生産改善特別事業」で、種子や肥料代の助成・生産集落への奨励金、新品種の開発に心血を注いできた。この努力を品目横断の新たな農業つぶしで、麦作が壊滅的な状態にさらされてしまう。私は県庁に「うどん課」を作るべきだと主張してきた。経済、観光、農業、暮らし、どこから見ても香川県にはなくてはならない食文化「うどん」。これを国の悪政から守る讃岐人のコシの強さが今求められている。

投稿者 はねだ鉱造 : 17:52 | コメント (0)