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2011年12月20日
岡田小学校はこんな校舎になるよ
こんな校舎になるよ
岡田小学校の新校舎は2012年夏休み頃の着工が予定されています。現在の3階建て校舎の位置に同じ3階立て校舎が東西に造られます。各階2学年分の教室と予備教室、家庭科、理科、音楽などの特別教室がができます。職員室など管理棟は2階建てです。南北にいまより東よりにできます。1階は保健室。二階には図書室と図工室です。職員室の東側に多目的集会室、廊下を渡ると青い鳥(学童の部屋)教室。多目的室はいまのランチルームよりは狭いが全校生が入れそうです。
屋上に10㌔の太陽光パネル、6強湿分の電気が作れます。全体に段差のないバリアフリー、トイレも洋式がかなり採用されるようです。
2011年12月15日
11年12月 太鼓台
白い山茶花(サザンカ)が美しい。わが家の近くに樹齢二百年ともいうサザンカの巨木がある。道路拡張で危機に瀕したが屋敷の主の決断で生き残った。盛りとばかり花をつけながら白い落花を木の下に敷き詰めている。まち中に赤、白、ピンクが映える冬の花だ▼田んぼに水・環境保全と書いた看板が立っている。コスモス畑が目につく。こちらは冬枯れであわれである。農地・水環境保全対策事業の成果であるが、簡単に言えば減反で農地があれるのを防ぐためだ。本来は秋に黄金の稲穂が実る良田一面にコスモスでは似合わない。群れずに咲いてこそ可憐な花なのに▼無残なコスモス田んぼはTPPの行く末を暗示しているようだ。二千五百年にも及ぶ日本列島の水田農業をいま出来の市場原理主義で破壊してよいものではない。ここは知力の勝負だ。腕力が強ければなにごとも押し通せるとするやからに対して讃岐言葉で言うカバチの限りを使ってたたかおう。人の心をとらえるのだ▼並の理屈に合わないことも「改革」の一言でかたづけて金儲け一筋、握った金を投機に回し戦争に使う。いまの世を牛耳る勢力「アメリカ」「財界」にものの道理をわきまえさせるには何がいるのか。春に先駆けて讃岐路には水仙が香る。この花の姿のように一茎一花を
尊いと考える。思想闘争を仕掛けるときだ。(民主香川から)
2011年12月10日
JCJ香川支部 12月例会のお知らせ
会のご案内
ジャーナリストかがわ
第142号
2011年
11月26日
災害の向こう側、グローバルな眼
「ラオス報告」から見えてくるもの
「沖縄で米軍属の死亡事故が不起訴になっていた」のが、日米地位協定の運用協議で「起訴」が決まりました。「今までどうして」の疑問には答えられていません。東日本大震災は世界に発信され、フクシマはヒロシマ、ナガサキに続く共通語になりました。メディアからの情報ではなく、ラオス支援をする会員蓮井孝夫さんの報告を聞きながら、1年の活動を振り返りたいと思います。蓮井さんは1994年の「香川支部20年史」に、写真をつけて、ラオスの子どもたちの目の輝きを報告しています。サポートと共生を現地人はどう受け取ったのか、見続けた眼で今を語ってもらいたい。今年も東北の津波を中心に大きな情報の波が襲ってきました。読みきれず、足元に見失っているものはないのだろうか。
記
とき 12月19日(月曜日)午後7時から9時まで
ところ 茶房「四季」高松市西の丸町(087-822-9062)
テーマ 「ラオスからの報告」
1年の活動を振り返り、これからの活動に思いを馳せます。
報告 蓮井孝夫氏(会員・香川国際ボランティアセンター事務局長)
※ お願い 久し振りの「四季」会場です。飲物代400円の協力をお願いします。
※ お願い 「JCJ賞資金」のカンパ要請が来ています。1口5000円の協力を。
[かんかん石] 浜中報告を聞きながら、豊島産廃処理の歯がゆさを感じました。想定外を常に覚悟しなければならないが、見守る側に余裕がないのが実情。高齢化社会の言い逃れではないが、あふれる情報の消化が仕切れず、IT社会からの立ち遅れを突きつけられた1年であった気がする。個別化が孤立化になり、後ずさりを余儀なくされます。DVD「手記・空襲」が完成して、多くの学童が見てくれました。「高松の惨状を知らなかった」と言う声は「ふるさとのことをもっと知らせてほしい」と言う要求ではないのでしょうか。東日本の復興で地域コミュニティーの役割が問われています。「地域崩壊」は津波被害の問題ではなく、私たち自身の身近な問題なのです。
日本ジャーナリスト会議香川支部(087-882-2564)
〒761-8022高松市鬼無町佐料251 (メールアドレス imaokasi@md.pikara.ne.jp)
2011年12月07日
12月8日です。お忘れなく。
高 松 空 襲 ノート 第21号
2011年
12月8日
孫たちのために貴方の手を貸してください。
そのままの人生を語ろう
ふるさとの出来事をつなぐ
満州事変から80年、太平洋戦争から70年、高松空襲、そして敗戦から66年が過ぎました。ふるさと高松はその時代の波に洗われて、漂いました。その風景に今も砂をかむような思いをする人がいます。その思いを孫たちに「ふるさとの出来事」として語り継ぐためにDVD「手記 空襲 1945年 高松」を作りました。DVDは高松市内の小中学校に配布しました。子どもたちと直接対話をするために貴方の手を貸してください。被災者から直接話が聞ける時間は限りなく少なくなっています。貴方のそのままの人生を子どもたちに語ってください。「語り部」としての申告をお願いします。
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各学校への手紙 平和記念室が改修のために来春閉館します。3年後にどんなに生まれ変わるのかが楽しみです。しかし、ふるさとの歴史を知ってもらうために、15年間続いた「センター学習」郷土教育・平和学習の空白は許されません。私たちがお配りしましたDVDを新年度にどんな活用が予定されているかお伺いします。私たちはできる限りの支援体制を取りたいと思います。「こんなことできる。こんなことをしてほしい」と言うことをお聞かせください。
① お配りしたDVDはどういう風に使われたのか教えてください。
② 新年度にはDVDをどんなに使う予定がありますか
③ 私たちが「お手伝いする」とすればどんなことがありますか。
サイレン 12月1日、高松市平和を願う市民団体協議会の全体会が開かれました。高松市から「平和記念館」(仮称)として改修される基本計画案が示されました。「良い戦争はない。悪い平和はない」を理念に、高松空襲を中心に戦争遺品などの資料収集、保存、啓発する構想が示されました。その後の懇親会では92歳の傷痍軍人会代表が「平和のためにがんばります」と決意を表明、「真珠湾攻撃の時には若い血潮がありました」と当時を振り返っていました。「絆」が強調されています。記憶を記録に、そして伝える責任が問われます。
高松空襲を子どもたちに伝える会
〒761―8022 高松市鬼無町佐料251 (087―882-2564)
ゆうちょ銀行振替口座番号 01690-6-53058