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2011年03月29日

「手記・空襲 1945年 高松」の普及のご協力を

「手記・空襲 1945年 高松」の普及に協力を
「高松空襲」を子供たちに映像で伝えるために手を貸してください。
        資金カンパの呼びかけ
                高松空襲を子どもたちに伝える会

  「高松空襲」を子供たちに伝えるために被災者の手記9編を映像化する試みがようやく作品「手記・空襲 1945年 高松」(22分)として完成しました。この作品を普及・活用するために、さらなる物心両面の支援をお願いします。(1口千円以上の資金カンパ協力者にはDVD1枚をお礼として差し上げます)

 子どもたちには映像 高松市では15年前、「高松空襲」を忘れないために平和記念室が作られ、さまざまな啓発活動をしてきました。被災者たちの高齢化による「今伝えておかなくては」という悲壮な訴えがありました。「子どもたちには映像で」という声に押されて、この取り組みが始まりました。「学童・生徒に空襲の実相を知ってもらおう」という狙いで、西日本放送OBが手記をシナリオ化、四国新聞OBが中学教師のイラストを撮影しました。地元劇団は声の応援をしてくれました。
記憶薄れる「あの戦争」 「あの戦争」が始まって70年になります。高松市内でも戦争の痕跡が見えなくなり、市民の記憶が薄れかけています。しかし、被災者たちの鮮烈な思いはまだ語り尽くされていません。今こそ、証言発掘の最後の機会と思われます。手分けして、戦争遺跡の「証言発掘」に手を貸してください。高齢化した語り部のサポートと記録を手伝ってください。
平和記念館リニューアル 高松市民文化センターが改築に伴い、「平和記念館」に生まれ変わるそうです。一人でも多くの市民が平和にかかわることの重要性があります。リニューアルオープンまで空白期間(約3年)を作らないように、これまでの学童・生徒の平和教育を振り返り、新学期を控えて、修学旅行の事前学習資料などに活用してもらいたいと願っています。家庭や地域でふるさとを考える資料として活用してください。

※ お願い この作品の一部または全部を無断で複写・複製(コピー)することは法律で認められた場合を除き、著作権の侵害になります。この作品の複写・複製する場合は下記宛てに承諾を求めてください。(2011年3月10日)
   「高松空襲を子どもたちに伝える会」
高松市民文化センター平和記念室(087-833-7728)

投稿者 : 13:07 | コメント (0)

2011年03月21日

雨ついて

IMG_1126とりみんぐ2.jpg
丸亀市のスーパー木村で

投稿者 : 11:39 | コメント (0)

2011年03月19日

11年3月太鼓台

「すぐにでもいって助けてあげたい」…「東日本の大震災大変だったな」と声をかけるとかえってくる言葉だ。離れた四国の地でできることは何か。救援募金を集めること、被災地にどんなつながりでも知り合いがいたら、声を届け励ますことだ。がその声が簡単には届かない。十三日夕方までにやっとメールが一本通じただけ。心配だけが募る▼宮城県警は犠牲者の数は「万人単位になることは間違いない」とのべた(十三日)。そんななか仙台の若い親戚から「無事だよ」とメールが入ったと朗報。携帯も何も通じないままだったのが所在確認できた。よかった▼東京電力福島原発の危機が深刻化の一方だ。第一原発の1号機、3号機の水素爆発に続き2号機が重大事態となる。炉心溶融も。外の放射線レベルも異常数値が計測された。二〇㌔圏の住民は避難したが被曝が相次いでいる。アメリカではスリーマイル島の「悪夢の再来」かと報じられたり、ドイツからは首相が「稼働中の原発をすべて点検する」と▼地震列島日本に原子力発電所を作ること自体を問い直すときだ。福島でのチェルノブイリ再現を封じ込めるか。日本の技術は高い水準にあるといっても原子炉をコントロールできない現状がある以上、原発に頼らない、核の危険のない世界へ日本政府がイニシアティブを担わねばなるまい。当然核兵器廃絶も含めて自然の猛威に人為の恐怖を加えてはならない。(民主香川から)

投稿者 : 17:42 | コメント (0)

2011年03月14日

サクランボ咲いた

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投稿者 : 16:36 | コメント (1)