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2011年03月19日

11年3月太鼓台

「すぐにでもいって助けてあげたい」…「東日本の大震災大変だったな」と声をかけるとかえってくる言葉だ。離れた四国の地でできることは何か。救援募金を集めること、被災地にどんなつながりでも知り合いがいたら、声を届け励ますことだ。がその声が簡単には届かない。十三日夕方までにやっとメールが一本通じただけ。心配だけが募る▼宮城県警は犠牲者の数は「万人単位になることは間違いない」とのべた(十三日)。そんななか仙台の若い親戚から「無事だよ」とメールが入ったと朗報。携帯も何も通じないままだったのが所在確認できた。よかった▼東京電力福島原発の危機が深刻化の一方だ。第一原発の1号機、3号機の水素爆発に続き2号機が重大事態となる。炉心溶融も。外の放射線レベルも異常数値が計測された。二〇㌔圏の住民は避難したが被曝が相次いでいる。アメリカではスリーマイル島の「悪夢の再来」かと報じられたり、ドイツからは首相が「稼働中の原発をすべて点検する」と▼地震列島日本に原子力発電所を作ること自体を問い直すときだ。福島でのチェルノブイリ再現を封じ込めるか。日本の技術は高い水準にあるといっても原子炉をコントロールできない現状がある以上、原発に頼らない、核の危険のない世界へ日本政府がイニシアティブを担わねばなるまい。当然核兵器廃絶も含めて自然の猛威に人為の恐怖を加えてはならない。(民主香川から)

投稿者 : 2011年03月19日 17:42

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