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2011年08月17日
11・8 太鼓台
八月十四日夕方、琴電瓦町駅コンコースは,楽しげな空気に包まれている。「総踊りにいかんな」。浴衣に花の大きな髪飾り、群れて「さあ高松まつりへ」。華やぐまちのなかで「第32回815 戦争体験を語りつぐ集い」が開かれた。題して「ノーモア・ヒバクシャ」▼私の八・一五は『この世界の片隅に』、こうの史代の漫画だ。一気に読んだ。「人が死んだら記憶も消えて無うなる」「秘密は無かったことになる」「それはそれでゼイタクな事かもしれんよ」「自分専用のお茶碗と同じくらいにね」。昭和二〇年四月、満開のサクラ、枝にのぼった遊郭のリンさんとマンガの主人公すずさんの会話▼この世界の片隅で戦争末期に生きている証しの会話。二〇年五月の呉空襲でつないだ右手の先で幼い姪が時限爆弾に引き裂かれ,すずの右手も。一〇月、遊郭の焼け跡で「リンさんのこと秘密じゃなくしてしもうた。……」つぶやく生き残ったすず▼漫画をつたない文字でなぞっても,理解に役立つと思えない。『この世界の片隅に』・こうの史代作品のキーワードは「普通の人の人生を見たくって」。戦争の中でヒロシマ弁で語られた人生▼三・一一から日本を問う(赤旗八月三日)で「原発はまだ収束の見通しが立たないので,広島の原爆被害と比べて軽いと思ってはいけない」と漫画家。知恵と勇気、行動力で死線を乗り切った方、生き延びた人のことを伝えるのが仕事と。八月はどこにいても、なにをしていても生き延びたものの責任,生きているものの証しを示す月だ。
(民主香川から)
投稿者 : 2011年08月17日 16:41