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2011年05月25日

DVD高松空襲の感想です。

高 松 空 襲 ノート  第12号
2011年
5月25日

  私はDVD「手記 空襲 1945年 高松」を見た   
世代を超えて「戦争」をつなぐ 
 水(津波)と火(戦争)の違い学ぶ

1971年、作詞・北山修、作曲・杉田二郎の『戦争を知らない子どもたち』は、第13回日本レコード大賞新人賞を受賞した。戦争を知らない若者たちは、胸を張って声をそろえて歌い続けていた。あれから40年が過ぎたが、世界ではいまだ戦争が続いている。
「手記 空襲 1945年高松」は、戦争を直接体験した当時の高松市民と戦争を知らない私たちとを繋ぐものだ。わずか22分余のDVDだが、屋島、瓦町、今新町、四番丁小学校、郷東川、八幡通り、天神前、栗林公園、中新町、御坊町という現場がなぜか迫真に迫ってくる。その時刻、その場所が私たちの日常にイメージできるからだ。
どの場面も燃えさかる赤い炎が印象的である。高松空襲は、100機を超えるB-29が市内中心部をめがけて夥しい焼夷弾を落とした。焼夷弾は対象物を火災に追い込むのが目的だ。空襲は真夜中の3時ごろから始まった。聞いた話だが、綾川町から高松方面の空は真っ赤に染まっていたという。
誰かが、東日本大震災の惨状を「まるで空襲にあったようだ」と表現していた。大震災は自然現象で、その科学的メカニズムはほぼ解明されている。ただ、現象自体を抑えることも防ぐこともできない。戦争は人間の仕業に間違いなく、はじめることも終わらせることも可能である。水(津波)と火(戦争)の決定的違いを、このDVDから学ぶことができる。                    
  (元公務員田村彰紀・綾川町)

「私はDVD「手記 空襲 1945年 高松」を見た
 深い感動を呼ぶ実体験    
 高松空襲がどんなものだったのか。空襲を生き延びた九人の人たちの「手記」の朗読を中心にしたDVDが完成した。高松の身近に知っている地名が随所に出ていて、「ここで、あそこで、あったことなのだ。」と身につまされる。
 また、朗読の背景の絵は手記が深く読み込まれていて、細部まで丁寧にえがきこまれている。その上、絵の色調が淡くやさしいパステルカラーで描かれている。
この絵だと子どもたちが抵抗無く見ることができると思った。写真などの場合、あまりにも生々しすぎて子どもたちが目を背けてしまうことがあると聞く。この点、このDVDは子どもたちへの配慮もなされ、実に見事な出来映えとなっている。
子どもから大人まで幅広い人々が鑑賞できるし、見終わった後で考えさせる内容になっている。是非大勢の人に見てほしいと思う。(元高校教師 石井雍大・坂出市青葉町) 


ストンと胸に落ちる「九条」 
「中にいる人、早く防空壕から出よ。また、蒸せ死ぬぞ。」女の子はその言葉を伝えに防空壕に行くのです。でも、壕の中の人はすでに息絶えていました。父の漁船で海に逃げた少年はB29が焼夷弾で町を焼くのを見ました。怒涛のように逃げ惑う中で、子どもの手を放してしまった母親、16歳で総ての家族を失った少年――。
 DVD「手記 空襲 1945年 高松」は証言と優しいタッチのパステル画で表されています。それが地元の人の声と巧みなカメラワークで立ちのぼるのです。
 私は学校で、高松空襲のことを教わった記憶がありませんが、初めて高松空襲の実相を垣間見た思いがしました。中新町のロータリーや栗林公園の北門あたりなどたくさんの人々が亡くなられた場所は今どうなっているのでしょう。充分なご供養ができたのでしょうか。また、終り近くに石川光陽氏撮影の東京大空襲の写真が映し出されます。それによって、高松の空襲が、広島や長崎も含めて全国250の都市で受けた空襲の一つであるのわかるのです。
そして、画面は結びます。「この戦争が終って、私たちの国は二度と戦争をしないと誓いました。それが憲法九条です。」ここで、戦争と日本国憲法とのかかわりがストンと胸に落ちてきました。被災された人々のことを思うとき、今の穏やかな日常のありがたさにも改めて気付かされます。
 私たちにつながる人々が辛い体験を言葉に記してくれました。戦争を知る世代がだんだんおられなくなっている今、一人でも多くの人々がDVD「手記 空襲」を見ていただきたいと思います。               (主婦 寒川真由美・高松市三谷町)
    

   

投稿者 : 2011年05月25日 13:15

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