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2007年12月27日
器としての地域社会
07年11月23日に香川まちつくり学校がひらかれました。その第3分科会器としての地域社会をどうつくるのかの報告を次に掲載します。
分科会はパネルディスカッションで始まり会場からの発言で論議を深めました。パネリストは岩部乃之さぬき市職組合委員長、姫田英二医療生協専務理事、植村英二うえむら農園主、伊藤邦行有限会社邦商代表取締役・香川圏商工団体連合会副会長の四氏でした。
まず印象に残ったことは、地方公務員の職場のきつさ。小泉合併以後「改革」路線がさらに強まっている。なんていうと難しい議論になるが、「お金がない」といえば何でもできるという行政のやりくちで人減らし、住民サービスの切り捨てが常態化している異常さです。サービス切り捨てを実行する場にいる公務員には当然市民からの厳しい目線が突き刺さる。その目線をどうやって連帯に変えていくのか。
医療生協からは地域で孤立しがちな高齢者の居場所つくりの取り組みを映像で。農園主はものつくりの現場かららしい元気な報告だ。消費者との関わり方、農産物つくりの原点としての土つくりに力を入れるという話にうなずく人が目立った。
香川では県でも市町でも「大企業言いなり」を絵で描いたように進める大型店野放し建設、中心街のさびれとたたかう痛切な告発が業者代表からも、会場の議論でも相次いだ。観音寺の柳町商店街が暗くなると娘に通るなと親が言うという発言があった。昭和30年代のあの町の賑わいのなかにいた私にとっては衝撃的であった。
業者はしたたかでまちがシャッター通りになったら軽トラに日用品を積んで山の集落の老人世帯へ売りに行って結構商売になるという。
助言者の竹下登志成さんからは「法律上できる地域協議会を活用していこう」との提起があった。旧村、旧町、あるいはコミュニティー単位の地域協議会を認めさせ合併して広域となった行政が押し込んでくる大規模開発や地域切り捨て攻撃への対抗軸としてきめ細かいまちつくりを計画・実行して市長の目を住民の向けさせることが大事という提起でしょう。
大企業言いなりの大規模開発だけでなく、郵政民営化や「安全安心のまちつくり」の向こうには金融自由化や国民保護法という「アメリカ言いなり」自公政治も見えてくる。それに立ち向かう「器」としての地域社会を再構築していくためには行政で働く「全体の奉仕者」である公務労働者とどう話し合い、どう理解し合っていくのかが課題であると思う。
市民が求める「行政の効率」はムダはだめよであり、「コスト意識」というときも利潤追求のためではない。人減らしだって同様だ。専門性が必要な土木技術や保育、教育、病院などに成果主義賃金は似合わない。そのことを具体的にどう市民に見えるようにできるか。本音の話し合いができるかだと思うが、いかが。(はねだ)
投稿者 : 2007年12月27日 23:06