« 12月議会最終日、日本共産党議員団の反対討論(中谷まゆみ議員) | メイン | 新年おめでとうございます »

2006年12月24日

「墓参・合併後のこと」未来会通信29号(第2期)から

9月8日、故山名伸作先生のお墓参りに行ってきました。友人3人で誘い合わせてJR高槻駅で待ち合わせました。夫人のご案内で廣智寺へ。駅からはまっすぐ歩いて10分足らずです。石段を登って本堂を抜けたところにある斜面が墓園、前から3列目の真ん中辺りに鎮座しています。盛大にお花を飾ってきました。右手のこんもりした森が昼神車塚古墳です。埴輪の力士像が有名とか。そういえば高槻市内には野見神社もあります。
 墓参のあと西武百貨店の中で食事、山名家の高槻マンションにお招きいただいてお茶をしました。3時間余り4人で懐かしい高松の話をたっぷりしました。
 さて
 未来会通信編集者から10月末をめどに原稿を寄こせというお達しがありました。そのはがきに「日本の民主主義はやがて深まり、拡大していくものと素朴に考えていた私は、いま奇妙な居心地の悪さを感じています」と書いておられました。
 前にも書きましたが2004年11月に山名先生も「2000年になれば少しは世の中よくなっていると思っていたが……」と。
 その折私は「世の中捨てたものでもない」などとちょっと突っ張ったことを言ってみたものの、いまこの国の「居心地の悪さ」は相当のものですね。日本という国はアメリカ世界におりまして、ここでのこの10年余りの流行ものはグローバル化、市場原理主義というか市場万能といえばいいのか。ひっくるめて新自由主義の風を吹きつのらせています。その風に乗ってブッシュと小泉、後継の安倍がいわば好き勝手をする。ここではメディアがそれしかみないものだから「小泉改革」をいいものとしか書かない、言わない、流さない。キーワードは「お金がない」。お金がないを民草の頭にしみこませてやらずぶったくり・賃金カットはおろか低賃金の非正規雇用がはびこり、税金は取り放題。多国籍企業と大金持ちは大もうけの仕掛けをきっちりつくったのですね。
 …そんなワケで暮らしのまわりの居心地が悪い。私の身の回りをみるとこの風潮にどっぷり浸かったというか、この風邪にかかった市長がいて、いま市長になって2期目の2年目なのですが、合併して1年間市民に向かって「丸亀市にはお金がない。お金がないから市民に願いよりも財政再建が先だ」。これだけを繰り返してきました。1年たって消防署を建て替える。それも競争入札でなくプロポーザル方式でつくりたいという。6500食いっぺんにつくれる学校給食センターもつくるんだ。いま食育法で学校給食は自校方式が子どもにとって望ましいとなっていても。それを議会で共産党の議員さんが発言しても、議論ふっかけてもどこ吹く風の知らん顔、どんどん事を進める。どこが財政危機、お金がないってほんとなのですか……。市民のために使う分のお金はないって事なのですね。
 その一方で「お金がない」から公共施設はすべて使用料を取る。市民の税金でつくった施設なのに、高齢者や子育て中であれ、障害者であれ弱者でも遠慮なしとる。原則減免はしないと議会で発言する。来年からはサービスは減らす。幼稚園の通園バスは有料にする。有線放送はやめて民間のケーブルテレビに有料でやってもらう。「安全安心のまちつくり」などとスローガンに掲げながら市民の不安をあおることばかりのたまう。このカゼ、新自由主義風邪とでも言おうか。お役人体質の市の職員さんにもパーっと広がりまして、市民にとって居心地悪いことおびただしい。
 わけても私の住む町は大きな市に合併した小さな町、住民からすると合併させられた小さな町だからなにかにつけ大きな市のやり方を押しつけられるばかり。小さな町がやってきたきめ細かいというとかっこいい言い方で、要するに「ゆるぎたるぎ」で行こうやないかが通用しなくなってくる。
 それがわかっていたからわが町でも合併は住民が決めるんだと「住民投票条例をつくる」運動を始めて直接請求署名はクリアしたが、町議会で「合併は時の流れ」派に否決されて住民投票には至りませんでした。
 しかし平成の合併では住民投票の運動は全国に広がり、合併反対派も賛成派もどんどんとり組み、結果は勝ったり負けたりと言うか合併推進側が少し分がよかったのかな。でもこれは民主主義の21世紀らしい深まり、広がりといえるのではないかと見えるのですがいかがですか。
 合併後の小さい町は先も言ったようにつらい目に遭っています。小学校区ごとのコミュニティーが市のやりかたといって、3っつの小学校区を一つの町にして40数年一体化したまちつくりをすすめてきたわが町も3コミュニティーに分断されて抵抗力がそがれている。でも合併後すぐに新市が自治基本条例つくりにとり組み始めると、そのためのワークショップにわが町の住民がどっと参加してあるべきまちつくりにしっかり発言しました。私も当然参加してなによりも都市内分権が大事と物言うたびにアピールしてきました。ワークショップに続いて条例制定委員会の作業が始まり私は公募委員に応募しましたが、「貴意に添えません」と。
 世間では合併に際して住民の抵抗の大きかったところでは住民自治組織が形の上では置かれている場合が多いが、わが市は合併時にも議題にあがらなかったし、基本条例のパブリックコメントで要求しても「住民自治の成熟過程にあり、将来的にコミュニティーが発展して地域自治組織等になるまでもう少し時間と議論を要する」というのが市の答えです。
 その一方で「協働」を条例化してこれまで行政がやっていた仕事も「協働」と称して市民やNPOの手弁当仕事に任かしていこうという条例といえばわかりが早いかな。仕事がいやだと住民が言ってるのではありません。仕事をするにはすべてが手弁当(ボランティア)で行政の都合優先というというわけにはいかないよと言いたいのです。有償部分があって当然だし、住む地域のことを一番よく知っているのが住民だから。住民が相談してこういうまちつくりをしたいと言うときに市長はそれを尊重して手もかす、お金も出すというルールつくりが都市内分権・地域自治組織の中身なのです。
 コミュニティーの働き手たちや私は協働条例つくりにもワークショップから参加、条例つくりに委員会にも公募して応じました。これも私は委員にしてもらえませんでした。
 丸亀市自治基本条例はそれらの点でまだまだ不十分なものですが、「この条例に基づき、市民参画や協働の適正で円滑な推進と、市民による自治の進展を図るために、自治の推進関する重要事項について審議する『丸亀市自治推進員会』を設置」することが決まっており私はこれにも応募しました。応募定数を超えて希望者があったが公開抽選による決定となりました。幸い抽選に当たりました。
 応募した人たちは様々なワークショップでご一緒した人たちが多く、全員採用してほしいと口々に言いました。それが当然で誰かを選ぶ事なんてできないというわけで抽選になった。こうした現状は民主主義的前進とみるかどうか。いろいろご意見はあると思います。とにかく物言えるところで大いにものを言って、体も動かして、降るように攻めてくる居心地の悪さと闘っていくのが市民のつとめかなと思っています。(通信の元寇に少し手を入れました)

投稿者 はねだ鉱造 : 2006年12月24日 17:41

コメント

コメントしてください




保存しますか?