« 咲いた サクランボ | メイン | 満開です。 »

2012年03月15日

3月太鼓台

3・11」に何かしましたか。被災地では追悼式。各地でデモ、集会、街頭署名…。あの日も雪もよいだった。今年も風が強く寒い。三月も十日すぎなのに、街頭署名のペンを持つ手がつめたい。「福島の子どもたちのこと思えばね」と四国遍路の女性、手に力が入る▼「電気がなくなれば困るだろう。テレビだって見られない」憤然と大きな声を上げて脱原発の一筆を拒否するおじさん。電気をつくるのに湯を沸かして蒸気でタービンを回す、そのために原子力を使う。放射能というとんでもないものをだす燃料の始末はできない、それが原子炉。野蛮な仕組みなのだ、原子力発電は▼まもなく五十四の原子炉がすべてストップする。それの再稼働へ向けた動きが激しい。野田内閣、閣僚が相次いで発言する。ストレステストとやらの結果をメディアは大きく報じる。「電気代が上がるぞ。あげるぞ」。これは電力会社だ▼低線量被曝、内部被曝、体の中に入れた放射性微粒子、体のなかにある限り被曝が続く。心配である。四万円なりを投資して、線量計を買った人がいる。原発何㌔圏の円を描くと一番安全なはずの瀬戸内香川でも〇・一マイクロシーベルトという自然放射線量より高い値がしばしば出るという。風向きか、五十四あるどの炉なのか、由来はわからない▼安全神話と縁を切って、壊れた原子炉三基と日本のすべての炉を止めて被曝と向かい合う。そういう政府がいま必要ではないか。(民主香川から)

投稿者 : 2012年03月15日 19:45

コメント

コメントしてください




保存しますか?