2010年08月17日
8・15、高松で集い
第31回8・15戦争体験を語りつぐ集いは今年も8月15日、高松市民文化センターで開かれました。高松空襲の被害者で30年目に遺骨が水道工事で発見された母子の物語、紙芝居「30年目のぼくの遺骨」上演で開幕しました。30年間ずっと防空壕の地中にいた7歳のぼくと母さんの思いが人の手で高松の町によみがえりました。母さんの金歯と赤いかんざしが決め手になって身元がわかるてんまつ、朗読ボランティア五島幸子さんの声が会場をしんとさせました。
JCJ香川支部・今岡重夫さんの実行委員会あいさつに続いて「知られざる戦争・終わらない戦争 ベトナム・ラオス・沖縄・高松」と題して高松空襲を語りつぐ運動とかかわりの深い蓮井誠一郎茨城大学准教授が講演、ラオスのクラスター爆弾、不発弾被害の実情をくわしく報告しました。8月1日にはクラスター爆弾禁止条約が発効しましたが、ラオスでは七千八百万発残ると想定されている不発弾除去は容易でなく、いまも毎年三百人も(人口六百八十三万人)の犠牲者が出ています。ベトナム戦争当時ホーチミンルート遮断を目的にしたアメリカ軍のすざましい爆撃の結果です。
不発弾被害は戦場になったところはどこでも例外なくいまも被害を受けています。沖縄では日常的に問題が起こっています。高松でも年に数件はあります。
講演に続いて高松が戦場になり一夜に千三百五十九人が非業の死を遂げたあの日を語り伝える様々な運動にとりくむ人たちからの発言がありました。
植田正太郎・高松空襲をこどもたちに伝える会会長は大量放火殺人という戦争の本質をこどもたちに伝えるのだと訴え、山田悌二県原爆被害者の会事務局長はヒロシマ入市体験を、谷本亘さん(74)は7月4日の高松住宅地図復活の余話を、松永始県原水協事務局長は5月のニューヨークでのNPT会議に向けた行動を、1945(昭和20)年の香川や高知の戦争遺跡を丹念に調べている藤原義一さん(63)は特攻用の急増飛行場の実態と中学生動員の様子を語りました。
また1920年生まれの元兵士は満州から高知へ、本土決戦へ向けての軍移動、敗戦前後の軍隊の混乱を話し、作家・守川慎一郎さんは自分がみた復員兵の心の傷を語りました。
来年は慰安婦問題の芝居をしたいという女優の細谷育子さんに続いて閉会挨拶にたった井上のぶみさんが「戦争を語り伝えるこの集いを来年も続けていきましょう」と締めくくりました。
投稿者 : 2010年08月17日 11:59